なにものでもないものどうし

 舌で転がる棒付きキャンディーを口内から取り出すと、それは夕日を浴びてキラキラと輝いていた。宝石みたいだと思った。それが俺の唾液で輝いているのだと思うとロマンティックさに欠けるが、俺の表情はそれよりも遥かに生気に欠けているんだろうなあと思うと、もっとも気の利いた言葉なんて出やしない。多分そんな俺のせいで、だって言える冗談も言えなくなっているのだろうが、それに関して触れる理由などなかった。なんだか調子が狂う。

「中3だった俺はさー、バスケでもっと強くなるために秀徳入るっつってたよなー」
「そうだね。勝ちたいやつがいるとか言ってたね」
「だよなー」

 俺がを呼び出してからずっとこんな感じだ。業務的に棒付きキャンディーを舐めては取り出し、それを夕日に晒してはまた口にしまう。それを何度も繰り返しながら力の抜けるような声でそんなことを問うているのだ。
 実際、そんなことはよりも俺自身の方が知ってるだろう、とツッコミと入れたくなる事柄なのだが、それを言いきってしまうと俺がを呼び出した意味がなくなってしまう。俺は慰めてもらいたいのだろうか。に。それに気付いているのかいないのか、は下手に口を開かず、聞かれれば答える、話せば頷くと言う動作を繰り返しているというわけだ。

はどう?学校楽しい?」
「それなりに楽しいよ、やっと慣れてきたし。高尾はそうじゃない?」
「いや、楽しい。めっちゃ楽しい。学校ボロいけどそれ以外は不自由してない」
「じゃあなんで私を呼んだの」

 は中学時代と変わらず、端的な口調と物腰柔らかな表情を兼ね揃えたまま、ベンチを這うアリを指で追いやっていた。何故かと話をすると安心する。昔からだ。こいつは気を遣って励ますこともなければ、愛想よく笑顔を振りまくタイプでもない。でも話していて落ち着くのは、一緒にいて冷静になれるのは、の根っからの性格が滲み出ているのだと思う。目で見えないような、それこそオーラのようなものがすごく温かいんだと俺は思っている。
 だから俺はをわざわざ電話までして呼び出して、先の見えない話を延々とする。お互い違ったまだ新しい制服を身に着けて、違和感を感じながらも、昔からの友達という雰囲気でそれを丸め込んでいる。こうしていることすら懐かしいと思う日がきている今、俺はなんとなく情けない気持ちになった。

「これで、いいのかな…」

 実際、俺の悩みというのは簡単にいうと自分のことだ。悩み事なんて大体が自分のことなのだが、こんなにも俺が俺のことで悩むなんて、と悩んでいることに悩んでいて実にまどこっろしい。つまり俺は“悩む俺”に悩んでいるといわけだ。
 俺は先程、バスケでもっと強くなるために秀徳入るっつってたよなとに聞いた。それをは肯定し、俺もそれに納得していた。だったら何故。何故俺は、その秀徳で倒すべき相手“だった”やつと意気投合し、純粋な尊敬まで抱いているのだろう。いや、尊敬は中学時代に負かされた時からしていた。
 俺は帝光中の7番を、現在秀徳高校の6番・緑間真太郎を尊敬している。でも、だとすれば。俺は何を思って秀徳に入ったのだろう。緑間を倒すために強くなろうと思ったのに、今は当たり前にその緑間と“共に強くなろう”としている。

「秀徳にさ、いたんだよ。緑間真太郎」
「高尾がよく言ってた、あいつ?」
「うん」
「そう…」

 そう呟いてはベンチの上で両足を抱えた。ちょ、おま、パンツ見えんぞという気持ちになったけれど、そういえばこいつは可愛げもなくスパッツをはいていることを思い出す。俺は改めて口からキャンディーを取り出すと、徐々に身を削るそれを見つめながら記憶の緑間を浮かべた。

「勝手にライバルだと思って、ぜってー勝ちたいって思ってた。でも俺、今そいつとすんげー仲良くて。あー真ちゃんはどう思ってんのか知らないけどな。んで今みたいに真ちゃんとか呼んじゃってて、仲良くて、それが全然嫌じゃなくて」
「それを高尾はおかしな話だと思ってる、と」
「ん。あんだけ燃えてたのに、俺、なんだったんだろーってさあ」

 案外あっさりしたもんだと思った。あれほど執着するみたいに奴とのプレイを望んでいたのに、実際仲間になってしまえば動揺することなく受け入れている自分がいる。少しくらい何故と思えばいいのに、それすらも込み上げてこないまま今もいる。時間が経てば経つほど薄らいでいく。“こいつと強くなりたい”という気迫の濃さに交じって。
 俺の夢は変わってしまったんだろうか。夢というより、目標というのか。何にせよそんな自分が疑問で、でもそうやって望み続けていく自分も嫌いではなくて、この先どうしていけばいいのかと悩みが出てくる。ここまで答えが出ているなら、この先俺が出す答えだって分かりきっているのに。いっそのことだと認めない自分がまどろっこしくて仕方ない。
 ちらりと視線をの方に向ける。は癖なのかローファーの皮を指でいじりながら、そしてこの空気を一転させるかのようにあからさまな溜め息を吐いた。

「はー…もう、らしくないなあ!」

 少しだけ、俺の肩が跳ねた。

「久々に会ったと思ったらそんな話?高校デビューでもした?」
「ブッ!なにそれ、なよなよした性格になったってこと?それってむしろ引退じゃね?」
「じゃあ引退でもいいよ。とにかく、さっきのなよなよより今みたいなツッコめる高尾の方がいい、絶対いいから」
「そ、っか。まあ、俺だってグズグズ悩んでんのはらしくねーって思ってたし、気持ち悪くもあったよ」

 あったけれど、の望む俺にすぐには戻れやしない。だからお前を呼んだのだと言えない代わりに体を大きく仰け反らせた。ベンチの背もたれからはじき出された頭部だけがだらりとして、急に薄暗い空が視界いっぱいに広がった。そろそろ日が沈む。俺の棒付きキャンディーも、もはや棒だけになってしまっていた。

「でも、そういう気分になるのも分かる」
もそゆこと、あったとか?」
「うん。秀徳落ちた時」
「あ…ごめん地雷踏んだ」
「いいよ、そのおかげで今高尾の気持ち理解できるし」

 そう、は秀徳を受けて落ちたのだ。それは一緒に結果発表を目の当たりにしていた俺が一番よく知っている。別に一緒に同じ高校に行こうと決めたわけでも、どちらかが行くからそうしたというわけでもない。気付いたら一緒だった、という感じだ。俺はと同じ高校だったら楽しそうだなあという感じだったし、も俺がいれば友達に困らないなあという感じだった。だから高校でもつるむんだろうなと勝手に思っていたので、が落ちたのを知った時は不覚にも気の利いた言葉が出なかった。も「こればかりは仕方ない」と冷静に笑っていて、多分ショックはあったと思うけれどもう次のことを考えていたのだと思う。
 だからは俺と違う制服を着て、俺の知らないやつらとそれなりに楽しい学校生活を送っている。俺がそうであるようにもそうしている。だからこそ、俺は嬉しいのだ。上辺だけじゃない言葉で、相手が傷付こうが付かまいが、その人のためになる答えを導き出してくれるが俺の隣にいることが。俺はとても、嬉しくて誇らしい。

「答え、出てるならそれでいいじゃん。緑間の件」
「分かんの?」
「どうせ高尾のことだから、そんなとこだろうと思って。違う?」
「いや、正解」

 お見通しだとか、そういうことは実際にあるのかとさえ思わされるの言動には不思議と説得力があった。言う通り、とっくに俺の中では答えは出ている。でもそれは自分でも自覚するには少し時間がかかることだったのに、何故かには分かってしまうらしい。それは俺が男でが女だとか、意外に俺が冷静な時はが感情的だったりだとか、そういうことが関係あるのかは分からない。でも確かに言えることは、これが昔から俺との間にある欠かせない釣り合いだということだ。

「高尾とは幼馴染でもないけど、そのくらいの気持ちで私は接してるつもり」

 どうしてかこいつはしっかりしている。時々俺でさえもびっくりするくらい芯が強いと感じる時がある。でもその分臆病なところももちろんあって、そんな時は見逃さずに俺がカバーしてやりたいと思う。きっとも同じだ。俺が今みたいに弱っていたりすると何も言わずに来てくれて、ちゃんと話を聞いてくれる。陰った答えを導いてくれる。だから俺はが好きなのだ。一緒にいて居心地がいいと思えるのは幸せだ。

「違う学校行って、よかったって思えることもあるんだね」

 多分この先何度もこうして呼び出して、くだらないことを延々と話すことがあるだろう。でもその度にはいつも通りに接してくれて、逆の立場になった時は俺もそうしてやりたいと思う。から連絡がきた時は、よっしゃと言わんばかりに向かってやりたい。

「でもたまに、が同じ学校にいたらいいのになあって思うよ」
「それは奇遇。私も今思ってた」

 言葉にするのは難しいけれど、離れたからこそ繋がるものはあるんだな、と強く感じた俺は甘いのだろうか。




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