ただ春を待つ

 高校生になってからまず始めたのはバスケ部のマネージャーだった。女子バスケ部がなかったせいでこの役割を選んだわけではなく、ましてや私自身バスケが上手いというわけでもない。それでもバスケ部にこだわった理由は何故だと問われれば、強いて言うならバスケというものに繋がっていたいからだと思う。
 中学生の頃は部活動にマネージャーという存在はなく、いくらバスケをしている人を支えたいと思っても支えようがなかった。離れた場所からそれを見守り、心の中で頑張れとエールを送る。なんだかそれがすごくもどかしく、無関係に感じたことが酷く記憶にあったため、せっかく高校生になれたのだから堂々と支えになりたいと思いマネージャーを希望したのだ。

さん、次の試合まで自由にしてていいと、監督が」
「わかった。ありがとう黒子くん」
「いえ。これ、僕たちのですよね。運ぶの手伝います」

 バスケ部のみんなと行動を共にし始めて早数ヶ月。相変わらず黒子くんの登場には慣れないけれど、彼の人の良さは徐々に伝わっている。急遽近くのコンビニでスポーツドリンクを購入した私の両手にぶら下がる袋をひょいと取り、「先に行ってますね」とだけ告げて去っていく黒子くんが頼もしく感じる。急に両手の重みから開放された私は彼の背中を見つめながら、手を閉じたり開いたりを繰り返しその場に立っていた。

「今日の相手は秀徳か。やっぱり強いんだろうなあ」

 とてもバスケの強い高校らしい。元々すごいというのに今年はキセキの世代である緑間真太郎を獲得したということで、部活中に何度も録画した試合を見たのは記憶に新しい。ちらほらと目立つその秀徳のオレンジのジャージがうろうろする中、少し離れたところに知っているような顔を見つけた。
 あれは、まさか、もしかして。
 根拠はないけれど間違いでもない。徐々にこちらに向かって歩いてくるその人物が隣の友達に楽しそうに話をしている途中、呆然と立ち尽くす私に気付いたのか、友達に話をするのも忘れ、自分をも疑うかのような表情で口を開いた。

「もしかして…?」
「久しぶり、和成」
「やっぱり!へー、マジいつぶりだろうな、ほんと」

 私が思っていた人物と一致したのか、不思議そうだった顔が一瞬にして笑顔に変わる。何年経ってもこの陽気な性格とくしゃっとなる笑顔、そして真剣な時に見せる別人のような表情は変わってないんだろうなと、一目見ただけでそう思った。何故か安心する。変わらない彼が目の前にいて、いつかのように嬉しそうに笑ってくれたのだから。

「この子は誰なのだよ、高尾」
「なになにー?真ちゃん気になっちゃうのー?」
「茶化すな」
「はいはい。とは同中で、俺の……元カノだよ」

 和成の言葉に一度目を大きく開いた彼の友達は、何か貴重なものを見るかのようにこちらを見つめ、小さく頭を下げてから踵を返した。空気を読むように立ち去ろうとする彼に「ちょ、真ちゃん!?」と和成は振り返るが、「先に戻っているのだよ。ベンチにラッキーアイテムを忘れてきた」という返事が返ってきただけだった。後に彼があの緑間真太郎ということを知り、今度は私が目を見開くことになる。おそらく彼は気付いていただろう。私がこれから対戦する誠凛高校のマネージャーであることに。

「でも、まさか和成が秀徳にいるとは思わなくてびっくりした」
「いや、俺こそが誠凛でマネしてるとか想像もしねーから!」

 近くの花壇に腰かけ、途中に自販機で買ったペットボトルのお茶を少しだけ口に含む。相変わらず和成は豪快な明るい笑顔で、思わずこちらもつられてしまった。中学時代、何度この笑顔に励まされただろうか。
 私と和成が付き合い始めたのは中二の春、日直で一緒に居残りをしたのがきっかけだった。この年齢のカップルにはよくある自然消滅という形で終わってしまったのだが、おそらく一年ほど付き合っていたと思う。その頃の和成は持ち前の明るさで分け隔てなく誰とでも仲が良かったし、バスケをしている姿は誰よりもかっこよかった。何度か試合にも応援に行ったことがあって、その時からバスケをしている人の、いや、和成の支えになりたいと思うようになったのだ。

「よかった。次の対戦相手が和成で」
「一応敵だぜ?」
「そうだけど、なんか安心する」
「はは、変なの」

 中三になるとクラスが離れてしまったので、余計に自然消滅のリスクが高くなったのだと思う。そのため進路希望の話をしたこともなければ、何処の高校に行くのかさえも知らなかった。もちろん彼がバスケの才能に秀でていることは分かっていたし、それなりにバスケの強い学校に行くのだろうなとは思っていたが、バスケに無関係な私には到底予想もつかなかったのだ。
 だから今日久しぶりに再会し、今になって分かる秀徳という強豪校に入った彼を本当にすごいと感じた。しかしそんなことを言っても彼は喜ばない。「そんなことねーよ」と笑うだろう。彼は何を考えるよりも先に努力をしているような、次の自分になるために努力を怠らない人間だ。
 隣で大きく手を広げ、気持ち良さそうに伸びをする和成に目を向ける。改めて見ると、やはりあの頃よりも成長している彼がいた。

「懐かしいよなー。俺たち付き合ってたんだもんな」

 しみじみと思う。こうして何の繋がりもなく離れ離れになり、偶然再会して肩を並べる二人が以前恋人関係にあったなんて。不思議だ。何とも言えない、自分のことではないような、でも恥ずかしいような複雑な感覚だ。

「お互い付き合うなんて初めてだったし、何かと初々しかったよね。門限がやばいとか言ってダッシュで帰ったり」
「あんときはマジでを家まで送り届けねえと!って必死だったわ。あと初チューの時とか、緊張しすぎてすげえ鼻ぶつけたし、俺そんときのことほとんど覚えてねーもん」

 思い出すと恥ずかしいだけの思い出話に笑みがこぼれる。和成も何処となく照れくさそうに前を見ながら笑うし、交わらない視線がせめてもの救いだと私はごくりと二口目のお茶を喉に通した。
 初めてキスをした時のことは今でも覚えている。キスしようという雰囲気が出来上がったのはいいものの、お互いどちらも緊張してしまい、なかなか距離を詰めることが出来なかった。最後は半ば強引にしてしまった感が否めないが、それでも唇を触れ合わせるという行為の構造を熟知していない私たちは、唇を重ねると共に思いっきり互いの鼻をぶつけてしまったのだ。それが何故かおもしろくて、当分キスをするたびにそれを思い出していたことは和成には言っていない。
 空に伸びる飛行機雲を追いながら、当時の記憶を巡るように私はゆっくりと目を閉じた。

「あれから1年以上経ってるし、私たちも成長してるんだよね」
「だな。あん時は上手くいかなかったけど、今だったら上手くいくことだってあるって、きっと」

 私と別れてから今までの間、それなりに彼女も出来たし、もちろんバスケは好きで続けていると和成は言った。今はバスケ一筋に取り組んでいるようで、あの緑間くんの相棒として日々精進しているらしい。
 中学時代の彼のバスケを私は知っている。帝光中学に負け、高校でリベンジしてやると悔しがる姿も見ていた。だからこそ私はバスケへの執着を捨てられないのだろうし、それが嫌だとも思わず、むしろ楽しんで関わっていられるのだと思う。今私がこうしているのも和成から始まったものだ。全てが彼に繋がっていて、努力する大切さも、何かを実現する素晴らしさも、仲間と競い合う楽しさも教えてくれたのは彼だった。そして誰かを支えたいという思い。自分ではない誰かのために力になるということも。それに気付けた私は少しでも成長しているのだろうかと、少し不安になった。

「…和成から見てさ。私って、変わったかな」
「そりゃもちろん。見た目とか雰囲気は変わったよ。やっぱり大人っぽくなったし、落ち着きがある。まあたまにぼーっと突っ立ってたり、何考えてんのか分かんねーところは相変わらずだけどな!」
「なんか、褒めてるのかそうじゃないのか微妙」
「だから、そこが可愛いんだって!」

 「誰にでもそんなこと言ってるんでしょ」と冗談交じりで軽く睨みつけると、「んなことねーよほんとだって!」とあたふたする和成がいつかの放課後とリンクして、悲しいような懐かしいような、何か物足りない気分になった。けれど物憂げな顔をすれば彼は励ましてくれることは目に見えている。昔の私であればそれを期待しても許されるけれど、今の私はそれに甘えてはいけないのだ。心で生まれる切ない気持ちをぐっと抑えて立ち上がる。
 今日は彼とはライバル同士。あの日のように近くでプレイする姿を見られても、もう応援することは出来ないのだ。

「今日は絶対負けないから。いくら和成たちが強くっても、こっちだって劣らないよ」
「言うじゃねーか、望むところだぜ。どっからでもかかってこい、ってな!」

 まるで自分たちが共に戦うかのように互いの拳をぶつけ合う。ひらひらと手を振りながら小さくなっていく彼の背中に小さく呟き、遠くで私の名前を呼ぶ黒子くんの方へと駆けだした。
 あの日々の思い出はいつだって綺麗なままで、決して色褪せないまま眩しいのだ。けれど今は引き出しの一番奥に仕舞って鍵をかけておくことにしよう。いつかまた手に取るその日まで、大切に。その時こそはちゃんと伝えたいと思う。
 私は今でも、和成が好きだと。



by 悪魔とワルツを
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