白昼夢と僕

「友達に誘われて、今流行りの若手俳優のトークショー見てきたんだ」

 そう切り出す私に、黄瀬は「へえー!それって誰のっスか?」と予想以上に食い付いてくれたので、少し返答に遅れてしまう。それは、と私たちの年代に人気のある男性若手俳優の名前を挙げると、また黄瀬は「すごいじゃないっスか!」とオーバーリアクションにも似た返事をくれた。
 とはいえ、私もファンだからそれに参加したわけでもなく、増してや自分から進んでチケットを取ったわけでもない。熱狂的なファンの友人が近くの大学の文化祭にその俳優がトークショーに来ることを嗅ぎつけ、鬼のような速さでチケットを確保していたのだ。そして2連番の1つが空いているからと私を誘ってくれたのが事の発端で、少なからず興味がある私は、断る理由もなくチケットを譲ってもらったというわけである。

「それで、質問コーナーで、プライベートで仲が良い人とどんなことして遊んだりするのか、とか質問されててさ」

 俳優は話した。この業界で知り合い友人になった人もいれば、学生時代からの付き合いの友人もいると。最近では後者の友人たちと集まり、昔と変わらずバーベキューをしたり、会うたび繰り返される過去の武勇伝に花を咲かせたのだという。
 そんな話を頭の片隅に詰め込みながら、残りの大半に浮かぶ別の話題にどんどん私の意識は持っていかれていたのだった。

「俳優の話、聞きながらさ」
「うん」
「私と黄瀬が仲良いみたいに、あの俳優にも仲良い女の子がいるのかなー、とか。その女の子はこんなかっこいいやつと仲良くて羨ましいなー、とか。思ってたんだけど」

 黄瀬は相槌を打たず、次の私の言葉を黙って待っていた。伸ばした足の、上靴の先同士を少し擦り合わせながら、私はずっとそこを見つめて言う。

「それって、黄瀬のファンからしたらだよ。その、なんて言うんだろ。私が俳優の想像上の女友達が羨ましいみたいに、黄瀬のファンの子は想像上の私みたいな女友達が羨ましかったりするのかなーって思うと、さあ。ほら」

 なんか、嬉しいなあって。
 意外と穏やかな声だったと思う。別に告白をしているわけではないので、自分が緊張する理由もないのだが、何故か隣の顔を見るのは気が引けた。黄瀬がどんな顔をしているのか。驚いているのか。笑っているのか。困っているのか。分からない。
 少しだけ、未来のことを考えた。俳優そっちのけで数年後の自分と黄瀬を並べていた。
 私はきっと大学に行って、普段通りの日常を過ごしている。今の生活と変わりない、少しだけ大人びた顔をしながら歩いているだろう。そして黄瀬はモデルの道を進んでいるのだ。急に有名になって、今人気急上昇中の若手モデルとかいって、お昼のワイドショーなんかで取り上げられる予定だ。そんな黄瀬が、ただの女子大生である私と同級生で、オフの日は何も考えず一緒にごはんとかへ行く。黄瀬は雑誌のインタビューで、休日は友人と買い物をしたりごはんを食べに行ったりする、なんて当たり前のことを答える。
 そんな当たり前の中に、私も入っていたらいいなとじんわり思った。黄瀬にとって当たり前の存在になって、私にとっても黄瀬は有名人なんかじゃない当たり前になって、そうやってずっと過ごしていられればいいのにと。
 そこまで考えて、やっと俳優の話が耳に入るようになった。あの俳優は写真で見るよりももっとずっとかっこよかったけれど、黄瀬だって写真なんかよりもっとずっと、隣にいる方がかっこいい。きっと親バカと同じようなのだと思う。けれど贔屓目だと言われようが、私は自信を持ってそう言える。

「黄瀬がどう思ってるかなんか知らないけど。全然知らないけどさ。私は黄瀬と仲良くさせてもらってると思ってるし、仲良いとも思ってる。だから黄瀬が、私が届かないくらいどんどん有名になって、たくさんファンの子が増えちゃっても、たまにはこうやって肩並べられる存在でいれたらなーって、思う。もちろん有名人の友達だからってことじゃないよ。今まで通りの関係のままで、話せたらいいなって」

 そこでようやく、私は黄瀬の顔を見ようと思う。本当に告白の答えを待っている気分だ。ただホームルーム前の時間を持て余していただけなのに、どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないのか。

「…ちゃんって」

 ぽろっと話し出したのは自分だろうに、と思いながら、椅子に横座りしたまま顔だけを隣の黄瀬に向ける。私自身よく分からない自己完結をして、諦めにも似た笑みを浮かべていた。きっと黄瀬もそうだろうと自嘲的になっていたのに、待ち構えていたものが予想を大きく反していて、というより把握しきれなくて、今度はこっちが面食らう番だった。

ちゃんって、そんな可愛いこと言う子だったっスか?」
「は?」

 黄瀬は切れ長のきりっとした目だったはずだ。鋭く金色をちらつかせる色気があったはずだ。

「いや、なんでもない。なんかちょっと、嬉しくなっちゃっただけっス」

 目を真ん丸にさせて、その上うるうるさせているのは何かの間違いだと思った。というより私の頭の中にそんな顔をする黄瀬のデータが存在しない。上書き保存されたのはいいものの、これは私が知ってしまってもいい顔なのかが少し心配になった。
 黄瀬の当たり前になりたいのなら、多くの顔を知っている方がいいはずなのに。今の思考は矛盾だ。そうは理解しているけれど、目元の涙を雑に拭わせてしまっているのは紛れもなく私の責任で。告白の女の子も束の間、一気にいじめっ子へと早変わってしまった気分だ。

「やだ、黄瀬泣いてんの?」
「んなわけないじゃないっスか。俺、ドライアイっスよ?」

 ずずっと鼻を啜る音を聞いて、本格的に泣いてんなあと妙に冷静になった。そして不意に笑いが込み上げてくる。

「…まあいっか、泣け泣け」
ちゃんのせいっスからね」

 絶対黄瀬は喜ばないと思うけれど、心から可愛いやつだと思う。私が暇潰しのように話し出したことに食いついて、普段言わないようなことを思い切って言ってみたら、自分でも思った以上に嬉しくなっちゃって、半泣きになっちゃって。

「ん。自慢していいっスよ、黄瀬涼太と超仲良いって。そんで女の子羨ましがらせちゃって、いいよ」
「光栄だ」

 今も黄瀬はシャツの袖で顔を隠しながら、「でもどうせなら、モデルじゃなくってバスケがよかったな。有名になるの」なんてぼやいてる。そんな涙声じゃ説得力ないよ、と答える代わりに、そうだね、バスケにしよっか、と宥めることが今の私の精一杯だった。



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