物語の裏側に記す

「今日は私の話を聞いてほしい。露伴がどう思おうが延々と話し続けるから、それに適当に頷いたり相槌を打って聞いてほしい」
「注文が多い」
「善処する。だから聞くとだけ答えて、お願い」
 勝手にしろ、あくまで僕は聞くとは言っちゃあいない、話したければ勝手に話せと言ってるんだ、と、そんな屁理屈のような面倒臭いことをいう露伴は当たり前のようにデスクに向かい合っていた。見たところ端から頷いたり相槌を打つ気はないらしい。しかしまあ、形はどうであれ彼が聞いてくれると言っているのだから、その手に鉛筆が握られていようが、シャッシャッという音が奏でられようが、とりあえず声にさせてもらおうと私は特徴的なデザインのティーカップを両手で包み込んだ。
「まず主張させてほしいことは、私は彼氏がほしい」
「……」
「本当に何も言ってくれないの?うんとかへえとかも?」
「面倒臭いぞ。気が向けば何か言ってやるからさっさと終わらせてくれ」
「そう?それでなんだっけ…、ああ、彼氏がほしいってことなんだけど」
 露伴はそういったことに首を突っ込む気もなければ突っ込みたくないのも知っている。し、言ったところでろくな意見をくれるわけでもない。だから私が話す時は大抵憂さ晴らしか気分が良い時が多いのだけれど、今回は前者に近いかもしれない。少なからずイライラしている。そして誰でもいいから吐き出したい内容でもあるのだ。
「ここ1年くらいで3人くらい好きになった人がいたわ。ルックスや性格、年齢はみんなバラバラ」
「へえ」
「1人目は1つ年下の子だった。年齢のわりには精神年齢が高くて、紳士で、なんて出来上がった子なんだろうと思った。実際仲良くなってから食事に行くのも早かったし、あまり男慣れしていない私にとっては至れり尽くせりよ。顔もよかったし」
 その子は好きな子のためなら何でもしてあげたいと思う子なんだろうな、という印象が大きかった。私は何に関しても奢ったり奢られたりするのは好きじゃないから“男が支払いをするのは普通”なんて言われて困ることもあったけれど、小さなことに気が利くし、女の子を家まで送るのは当たり前だと言うような子だった。
 仲良くなった人にはどんどん心を開いていくから、自分だけ特別な感じがすることに幸せを感じていたし、何より年下の子を魅力的だと思ったのは初めてだったので、すごく新鮮な気持ちで楽しかったのだ。
「そしたらある日よ。急に思い切った感じで聞いてほしいことがあるなんて言い出したの。柄にもなく内心驚いちゃって、何を言われるのか身構えてね。そしたらなんて言ったと思う?私が可愛がってた1つ年下の女の子ともう付き合う寸前までいったんだけど、その子は私から見てどんな子?可愛いと思う?なんて聞きやがったのよ。予想外にも程があるっての!」
 結局は思わせぶりな態度をとられていた。いや、私が勝手に思い込んでいただけかもしれないが。つまり彼が楽しそうに私と食事をしたり話したり、家まで送っている間も、彼には彼で愛しい子がいたというわけだ。もう唾をベッタベタにつけた彼女候補がいたというわけだ。
 年下の子にしてやられたという屈辱感より、年下の子ですら兼ね揃えている器用さが自分には欠けていることに空しさを覚えた。あの時ほど、視界が真っ白になった覚えはない。何せやっと“年下の子を好きになったんだ”と自覚した直後でもあったからだ。
「2人目は正反対に7つくらい年上の人だった。煙草は吸う、ギャンブルはする、本人の顔は良くないくせに面食いで、自分が気に入った子にはすぐ手を出すような人だった。正直、第一印象は最悪なやつだったわ」
「君も物好きだね」
「今思えばありえない。脳ミソ腐ってたんじゃないかしら私」
 なのに顔を合わせるたびに彼の性格が見えてきて、社交的なところや分け隔てなく誰とでも積極的にやっていける気兼ねなさ、そしてさりげなく自分を特別扱いしてくれる大人の魅力に気づいて、日増しに好きになっていった。この人に限っては夢にまで出てきたし、会えない日が辛くて、ありえないのに自分がこうしている間に違う子と仲良くしていたらどうしようとか、そんなことを考えたりもした。
 多分、今話す3人の中で誰に一番お熱だったかと問われると、この人と答えるだろう。大嫌いだった煙草でさえ、この人が吸うなら許せるとさえ思っていたからだ。恋は盲目。痛いほどに感じた瞬間でもあった。
「2人目ってことは、こいつにもまた問題があったんだろ?」
「大正解、それに問題でいったら一番たちが悪い。こいつ、彼女いたのよ。私と出会うずっと前から付き合ってる彼女が。その人と上手くいったりいかなかったりで、嫌気が差して暇つぶし程度に私に近付いてきたみたい。問い詰めたら体目的だったって。聞いて呆れるわ。よくよく聞けばバツ1で子供が2人もいるって言い出すし」
「おいおい、それはしてやられたな」
 というわけで、この人に関しては驚くほど簡単に冷めてしまった。水風船を地面に叩きつけて割るほど簡単に、未練もなく捨て切れた。自分が馬鹿らしく思うくらいだ。それに体目的なんて言われたこともなかったから、少なからず男のだらしなさを痛感したりもした。
 経験で言えば、良くも悪くも自分の糧になったのかもしれない。けれどこいつには感謝しない。長年付き合っている彼女さえ大切に出来ない男が、新しく付き合う子を幸せに出来るわけがないのだ。いっそギャンブルに夢中になって、彼女に縁を切られて、破綻すればいいとさえ思う。
「さて、3人目ね。これは結構あっけなかったというか、自分でもよく分からないんだけど」
 懲りないというか学習能力がないというか、この子に限っては2つ年下の子だった。背が高くてスタイルが良くて、一目で結構タイプだと思った。目が合えば何かアクションを起こしてくれる気さくさに、俗にいう“わんこ系”という言葉が相応しい愛らしい子であった。もちろん顔も文句ないし、見た目を気にする今どきの子で私としても印象が良い。
 こちらも周りより私に心を許してくれているようで、他の子にはしない過去の恋愛話まで打ち明けてくれるような関係だった。同僚には「いろいろあったんすよ」とぼかすような話も、私には詳細を話してくれて、誰が見ても周囲より頭一つ抜けた存在だったと自負していたのが間違いだったのかもしれない。多分、浮かれていたのだ。
「着々と距離は縮んでいったし、お互い通ずる何かを感じていたと思う。相手が私に良い印象を持っているのも分かってたし、私も私でこのまま上手くいっちゃうんじゃないかって思ってた。本当に、そのくらい彼と出会うタイミングが良かったのよ」
「手ごたえを感じたわけだ。結論は?」
「完敗よ。いよいよ彼に夢中になってきたって時に小声で呼び止められて、それはもう嬉しそうなそわそわした雰囲気で言われたわ。“彼女できたっすよ”って。お互い独り身同士で慰め合ってた同志だったのに、あっけなく見捨てて行ったのよあいつ。あれだけいい感じの雰囲気をかもしだしてたくせに、全部上辺だけだったってわけ」
 今度こそ上手くいく、上手くいってみせると思っていた矢先の出来事に、私はしばらくその現実と向かい合うことが出来なかった。彼は大抵彼女と3ヶ月程度で別れてしまうなどと話していたのを覚えているので、今回もそうやって終わるんじゃないのかと。そうなればまた私に勝機はあるし、軽い気持ちで好き続ければいいんじゃないかと、思っていたりするのだ。
 実際今もそんな感じで引きずってしまっている自分をどう思うのか、周囲の意見は欲していないが、きっちり論理的に叱ってくれる人がいるならばそれに従ってもいいかという思いもある。
 つまりは、だ。私が言いたいことはこうである。
「私って彼女にはしたくない女なの?恋愛相談をするのに最適な、そんな都合のいい女なの?」
 こう卑屈になっても仕方ないと理解してほしい。少なからず、こんな私でも滅入っているのだ。彼氏はほしい、けれどそうなる前に私ではない誰かが彼らを攫っていってしまう。声を上げる間もなく、さっとスリのように掻っ攫ってしまうのだ。
 だからは私は悲しくなって、その悲しみさえも飛び越えて卑屈になり、現在イライラしている。露伴がずっと頷きもせずペンを動かしていることが心地良いと感じるくらい、頭の一部がおかしくなっている。だって、好きになる人全員に彼女が出来てしまう現状を立て続けに経験することはあるだろうか。自分はいつだって相談相手か協力者にしかなり得なくて、ちょっと特別扱いされるだけでころっといってしまうようなお手軽さだ。それは使い勝手のいいことだろう。結局私は恋愛経験も少ないし、奥手で何も出来ない。彼女になれる女が持ち合わせているものを、私は所持していないのだ。欠落していると、言っても過言ではない。
「ねえ露伴、あなたの意見が聞きたい。今の話を聞いて、どう思った?」
 何を言われても傷つかないだろう。そこまで柔ではないし、相手が露伴ならさらっと流せる気がした。だから気軽な気持ちで問うわけで、当の露伴もいたっていつも通りに言葉を吐き出した。
「フン、だとしたら僕からも問いたい。君は今僕とこうしてることを、特別だとは思わないのか?」
「思わない」
「ああそうかい。これまで話を聞いてやったというのに、君には感謝とか好感とかそういったものがちっとも沸かないんだな」
「待って、何いきなり。だったら私も毎回来いって言われてここまで来るのに、露伴は同じようなこと言える立場じゃ――」
 ないだろうに、と言いかけて、それ以上言うのはやめた。
 露伴の顔に一切こちらの言葉を受け入れる気がなかったからだ。
「…はあ。こんなこと言ったって、結局どうせ露伴もさっさと彼女作って私なんて疎遠になるのよ」
「なんだって」
「周りから見れば?露伴は彼女なんて作らず一生を過ごすと思ってるんだろうけど」
「待て。何が言いたい?はっきりしろ」
「だから、露伴を好きになってくれる物好きだって何処かにはいるってこと!でも私を好きになってくれる物好きはいなくって、このまま一人で死んでいく羽目になったらどうしようって嘆いてるの!」
 「あああ~ん!露伴のあの、顔に字を書ける変なやつで私に“理想の彼氏ができる”って書いてよ~!」と作り泣きを演じるほど、今の自分が惨めに感じた。温かみも旨みも一切感じられないティーカップの中身を飲み干す。カップの底が少し滲んで見えて、すっかり私専用になってしまった斬新な柄のティーカップが冷たい表情を浮かべていた。
 これはいつから私専用になったのだろう。確か露伴が珍しく自分から外出しようと言い出した時、新しくできた雑貨屋さんで購入したのだ。確かこれの色違いもセットで買ったはずだけれど、あれは一体どこにいったのか。今では全く見当もつかない。
「新しい紅茶、もらっていい?」
「ああ」
「それで今気になったのだけど、これの色違いのティーカップ、あったでしょう。あれまだあるの?」
 安物の茶葉ではない紅茶を飲めるのは露伴の家くらいだと、私が注文してあったラズベリーティーの茶葉に湯を注ぐ。中央から赤みがかった波紋が広がっていくのを見つめながらそう尋ねると、露伴ははて、とペンを置きながら首を少し傾げ、思い出したように少し離れた戸棚を指差した。
「思い出したぞ。そこの戸棚だ。一度も使わず保管してある」
「そうなの。せっかくだし使えばいいのに」
「おいおい。それは君のカップだぜ?今のが割れたらどうする」
 露伴の当たり前のような答えを聞いた瞬間、私の中にも何か温かな波紋が広がった気がした。恋ではない。愛でもない。すると友情でもないけれど、何かずっとここに居続けていいような、未来の居場所が確定しているような、そんな思いが広がった。みるみる内に赤く染まるティーポット内を見下ろしながら、我に返ったようにそれを自らのカップに注ぎ入れる。そしてそのまま何を思ったのか、私は露伴の背後に周り、原稿を見せてなどと口走ってしまった。
 気が散るからやめてくれと露伴は足蹴にする。しかしそれも日常だと感じられるほど、私は今の空気に酔いしれていた。

by エナメル

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