星を撒いておいたのさ

 恋愛において、年齢の問題は必ずしも付きまとうものだと親友のお母さんは言った。それが私が年上の人を好きになったからだとか、その人に奥さんがいて、おまけに子供までいることに対しての言葉ではない。悩ましいほどその人に惹かれているというのは、もう遺伝子レベルで求めてしまっているのだと彼女は声高々という。ストレート極まりない話だとは思うが、もしも私が承太郎さんの子供(なんていってしまうと一気に生々しさが露わになるが)を孕んだとして、その時自分はどうするかと考えると、あっさりそれを受け入れる選択を導き出すのだから間違いないのだと思う。
 つまるところ、親友のお母さん――朋子さんは自分と全く同じ境遇にあったことがあり、そのままその子を産み育てているのだから私も反論という反論ができずにいる。というより、この世の何よりも説得力がありすぎて反論する余地がないのだ。だからその隣で当の息子がゲームをしながら溜め息を吐いていても、「だったら告っちまえよ。その方が楽じゃんかよォ」なんて無神経な言葉を吐き捨てていても、逆上することなく冷静に紅茶を啜っていられるのだ。
「じゃあさ、じゃあだよ。もし私が何らかの形でこっぴどくフラれて立ち直れなくなったら、そのー、なんだ。仗助のクレイジー…」
「クレイジー・ダイヤモンド」
「それ。そのダイヤモンドで治してくれるんだよね。粉々に崩れ落ちたブレイクンハートを」
「残念だがそりゃ無理だ。俺のクレイジー・ダイヤモンドは物体しか治せねえ」
「ほら。だからリスク高すぎなんだって」
 やはり外国の血を受け継いでいる承太郎さんは、本能的に外国の血に惹かれるのだろうか。
 奥さんがアメリカ人だというのをちらっと耳にした時、「やっぱり海外を渡り歩いていると出会いも多いですよね」なんて吐いていた自分が不甲斐なさすぎて笑える。実際はそんなアメリカ人に憧れ、出来るなら全身の血を抜き取って代わりにアメリカ人の血を巡らせたいというのに。そうすれば外見も少しずつ変化して、性格だってほどよくファンキーな感じが出たかもしれないのに。
「16歳と28歳って、さほど差はないと思うんだ」
「いーやよく考えてみろ。つまりそれは、がオギャーって産まれた時、承太郎さんはすでに小6ってことになんだぞ?」
「あー…」
「ほら」
「でもそれって大人になるにつれて分かんないって」
 こんな若い子が相手してくれるなんてラッキー、とか思う日がくるかもしれないし。今後一緒になるとして、妻が若いといいことだって山ほどある。自慢だってできる。そんな人に私はなりたいし、承太郎さんがいうならそうなれる自信がある。
 だからつまりなんていうか、もう承太郎さんが言うならなんだってできるような覚悟が私にはあると言いたい。そりゃ出会ったのはつい数か月前だ。目的は仗助だったし、一緒にいる私はおまけのようなものだ。承太郎さんだって私に関心はないし、眼中にもないだろう(自分で言っておいて悲しくなってきた)。
 ジョセフさんが杜王町にいることは極秘だが、あの人が以前朋子さんと愛し合っていたのだと思うと胸が熱くなる。あんなおじいさんになっても、想われるような女になりたい、私は。それにジョセフさんが何を思ったのかは知らないが、朋子さんを愛してしまった過去があるのだから、その遺伝子を少なからず受け継いでいる承太郎さんにだってその確率は――なんてところまで考えて、これ以上はやめようと頬を叩くことが何度あっただろうか。
 つまりは私自身、このまま何も言えず、何もしないまま、承太郎さんと離れ離れになってしまうことを心のどこかで悟っているのだ。だからこそ、一生忘れられないような思い出が欲しい。町を歩いていて不意によみがえるような、目を閉じるとぶわっと回想するような、ある言葉を発すると衝撃が走るような、そんな強烈な思い出が、身に染みついて離れない承太郎さんとの思い出が、私は欲しい。
「私にはスタンドとかよく分かんないけど、露伴先生に頼むとか、そういう反則的なことはしたくない」
「露伴のやつも嫌だろーよ」
「もし了承してくれたらなんて書くんだろうね」
「“に忘れられない出来事を残す”」
「うっわこわ。私死んじゃう」
 いつの間にかいなくなってしまった朋子さんの姿を探しながら、ふう、とカップで揺れる茶色い液体を見つめる。
 もしも承太郎さんに告白したとしても、聞かなかったことにされてしまいそうだ。それは承太郎さんの優しい配慮で、私の心に傷を作らないように。私は承太郎さんさえいいのなら、唇を奪われようが服を脱がされようが、何をされたって構わない。何度も言うが覚悟は出来ている。けれどきっとそれは私の妄想でしかなくって、私自身が承太郎さんが嘘でもそんなことをしない人だと分かっている。それがたかが数ヶ月の記憶だとしても。
 だからどうしようもない。今まで一度だって「うっとおしい」と言われたこともないし、普通に接すれば普通に接してくれる。一度だけだが笑顔を見たことがあるし、つまずいて体を支えてもらったこともあった。思い返すだけで全てがいい思い出だ。でもこの中で心の奥底が揺さぶられるような、燃えるように熱くなるような出来事があるかと言われれば、答えはノーだ。
 だったら私は何を望んでいるのだろう。彼に何をしてもらいたいというのだ。
「仗助、お客さん」
「おー待ってたっスよー」
 朋子さんがひょっこり戻ってきたから安心して顔を上げると、その後ろからは頭何個分も飛び抜けた図体が姿を現したので、思わず息を忘れる。
「じょ、たろ、さん…!?」
もいたのか」
 仗助は知っているようだったし、承太郎さんも呼ばれたからここに来たわけで、じゃあ一体なんだというのだ。私へのシークレットサプライズとでもいうのか。
 まー座って下さいなんて私の前の席を勧める仗助が、柄にもなく出来上がったコーヒーを承太郎さんに差し出す。そしてまたゲーム画面に向かい合うと、何事もなかったかのようにゲームを始めた。「おい、」と声を上げた承太郎さんも、まあいいかと言わんばかりにマグカップに口をつけて、室内にはキックやパンチを入れるような効果音ばかりが響いていた。
「仗助に呼ばれたんですか?」
「ああ。時間があれば来てくれと言われてな」
「ゲーム、しばらく終わらないと思います。ちょっと待ってもらわないと」
「やれやれだ」
 本人を目の前にしても、何故か心臓が高鳴ることはなかった。仗助や億泰くんと話すのと変わらないような、そんな何の変哲もない心情。けれど隣を歩いている時だけはなんだかふわふわした気持ちになってしまう。それは承太郎さんがあまりにも大きいから、自分がとてつもなく小さく感じて、承太郎さんの目にはどう映っているのかなんて考えてしまうからだ。もしかしたら守ってあげないと、と思ってもらえるような存在だと嬉しいな、とか思って、よくよく“だったら目に映る女の子たちみんなそうなるじゃあないか”と冷静になって歩幅が縮むのだ。
 仗助に呆れられるくらいには承太郎さんのことが好きだ。今だって好きだ。出来るならば抱きしめてもらいたい。ハグして、キスして、熱っぽい声で名前を呼んでもらいたい。そうしてもらえれば、それが忘れられない思い出になるのだろうか。
 ――けれど多分、きっと。一生忘れられないような思い出が出来るとしたらそれは。自分の気持ちを伝えて、承太郎さんに苦い顔をさせてしまうことなんじゃないかという答えが、最近ずっと私を締め上げて離さない。私は冷めきった紅茶を飲み干して、ただただ帽子の下で煌めく瞳を見つめることしか出来なかった。あたたかいコーヒーを啜る承太郎さんと、冷たい紅茶を飲み干す私。これは今後、私がどんな行動を取っても何にもなれないことを表しているようで、いっそのことその大きな肩幅に体を埋めてしまいたくなる気持ちに駆られる。
 もし今、私が後ろからぎゅっと抱きしめて、今にも消え入りそうな声で「承太郎さん大好きです」って呟いたら、承太郎さんはどんな言葉をくれるのだろう。
「承太郎さん」
「なんだ」
 胸が苦しい。喉が痛い。嫌だ。どうして私は、もっと早くに産まれてくることが出来なかったのだろうか。
「私、大人になりたい、です」

by 徒野

inserted by FC2 system