愉悦を一匙


「ねえ」
「なんだ」

 この、幻影旅団という蜘蛛の中に特別なものは存在するのだろうか。団長が頭、その他のメンバーが手足となって動くこの組織に、手足以外の役割を果たす特別はいるのだろうか。

「あなたは団長。じゃあ、私は、」

 何なんだろう。隣で団長が次の言葉を待っている。
 薄暗い部屋の中でもぞもぞと私は体をくねらせた。蜘蛛のメンバーに特別などなく、皆に平等が与えられているとしたならば。その頭と同じベッドの中で横たわる手足の私は何なのだろう。これもまた、平等と呼べるものの一つなのだろうか。仰向けになる団長へ寄り添う形で寝返りを打ち、横顔を見つめる。お互い服を着てただ寝転がっているだけなのに、果たしてこれは他のメンバーでも成り立つ光景なのかと思う。マチやパクノダ、シズクであってもありうるものなのか、と。

「特別なんかじゃない。でも、平等でもない」
「……」
「すごく、背徳感」

 私は彼女たちよりも後にこの組織に入った。付き合いはまだ浅い。組織にとって使い勝手の良い能力が認められ、団長自らの推薦によって招かれた。もちろんここの掟や役目に関しても承知しているし、数日過ごすだけで目には見えない絆のようなものもひしひしと感じた。そしてそれがすごく脆いものだとも思った。皆同じ信念を貫いているように見えて、実は各々が違った覚悟を決めている。それは絡まり合っているようで綻びのある、危ういものだと。
 マチは団長を絶対的存在だと言った。同時にそう確信した時から、きっと口には出せない思いを抱いていることも彼女は気付いていると思う。けれど自分は手足だから、しっかりと役割を果たし続け、私情は挟むまいと割り切っている。私はそんな彼女に気が付いていたし、おかしいとも思わない。けれどそれが招いた結果としてこのような疑問が生まれている。もちろん私もマチと変わりなく自分の役割を従順に果たしている。だから私と彼女の差と言えば、私情を挟んだか挟まなかったか、ただそれだけのものだった。

「背徳感、か」
「ええ。なんだか一人だけ駄々をこね続けているような、特別扱いを許してもらったような、そんな気持ち」
「それはつまり、そんなわがままを聞いてしまうほど愛らしい、ということなんじゃないか?」
「団長がそう思ってくれてるなら、いいけど」

 だったら私は救われる。ほんの気持ち程度でも、許されることなのだと自信になる。ぼんやりとしたライトを見つめていた団長の視線がこちらへと流れ落ちる。伸ばされた、すらっとした手から伸びる男性特有の角張った指が私の前髪をすくう。きゅっと少しだけ目を閉じて、その指を受け入れるように強ばった瞼を上げる。そして団長へと腕を伸ばしながら、頭の片隅で彼女のことを思った。矛盾。そんな言葉がぴったりだ。

「こんなことがまかり通るなんて、私、自惚れてもいい?」

 お好きなように。そう言わんばかりに私の体を引き寄せる団長もまた、許しを乞うように顔をすり寄せた。
 ねえ、マチ。あなたと私は紙一重。似た者同士よ。私はきっとあなたよりもずっと後に団長の魅力に気づいたくせに、ついに自分の気持ちに嘘はつけなかった。堪えたものが堰を切ったように流れ出し、すがるように服の袖を掴んでしまった。けれど上手く感情を隠したあなたは今も一人で夜空を眺めているのだろう。ひたむきに心の葛藤を抑えつけ、お手本のように団員としての行動を心得ている。はみ出し者の私にまんまと大切な団員を横取られ、知ってか知らずか今まで通りに私と接してくれる。
 マチは優しい。優しすぎる。だからこそこれがとても酷いことをしているようで、心の何処かで彼女を一方的に裏切っている気持ちにさせられる。

「もし、私より先に口に出していたら。ここにいるのは、あなただったかもしれないのに」
「何のことだ」
「独り言」

 約束破りでも、裏切りでも何でもない。ルールなんて何もない。彼女も何も妬みはしないし、仕返しや邪魔をしてやろうなんてことも頭にはないだろう。そう。私は幸せなのだ。幸せなはずなのに、何故かこれが幸せだと素直に受け入れることが出来ない。「」と団長が呼ぶ。「団長」と私が呼び返せば、腰に回した腕で私の体を器用に抱き上げ、満足気にこちらを見上げた。そんな私もまた、綻ぶ口元でもう一度彼の名前を呼ぶ。
 頭に、手足。全て備わった完璧な形。けれどその内の一本が自ら身を滅ぼし、いつか腐りちぎれ落ちてしまうような。そんな危うさが、予感が、生温い吐息に渦巻いた。



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