だから紐も結べずに


「そう、あなたもあそこの」

 出会って2度目の食事で彼は流星街の出身だと言った。あなたも、というのは以前私もその街で過ごした経験があるからだ。たった1年。それだけをそこで過ごしただけなのに、私にとっては未知のことばかりが巻き起こる、本当に浮世離れという言葉がぴったりな街だった。父の都合でやむを得ずをそこに身を隠すことになった私たち家族は、早く時が過ぎればいいと願う日々を過ごした。そこで暮らした1年というのは、思春期の私にとってとても大きなこと。願ってもいない強引な念という力の会得に喜びすらなかったが、今となっては自分の強みになったと言える。
 失敗したのだ。父が仕事で。そのほとぼりが冷めるための期間だったが、そこで手に入れた力によって今は上手にやっている。父と仕事先のパイプ役となり、またはそれから家族を守る護身用。もちろん便利なものだとは思う。が、それを他のことに利用しようだとか、仕事にしようだとかは微塵も思ってはいない。流星街と出会うまでの何ら変わらない一般人として、ただのOLとしての生活をひたすらに望んでいる。
 そんな平凡すぎる当たり前を願いながら、この男と出会った。


「よく知ってる。だってあの、賞金首だとかなんだって…」

 出会って5度目の食事で彼は幻影旅団の一員だと言った。何故そんなことを言い出したのかは理解しかねるが、嘘をついているようには見えなかった。ただ、どうしてそんな、今日の夕食を決めるかのような口ぶりだったのか。感情の露出がこんなにもない人なんて。普通であれば恐れすら沸き上がる。それでも逃げ出す気が起こらなかった私はどうかしていたのだろう。私と会っている時は幻影旅団の一員ではなく、ただのクロロであってくれればそれでいい。そんなことを思いながら、少し声のトーンを落としただけ自分がいた。
 私は、クロロとの時間が大切だった。それは都合が悪くなれば距離を置き、不定期ではあるが連絡をとり、約束をして食事をするというだけのもの。それだけの関係で十分だと思っている。なにも恋人関係になりたいなんて思わない。そんな厚かましいことを言いたいわけでもない。ただしばらくの間は、私がクロロを大切だと思ってやまない間は、せめてこうして顔を見て話がしたいと思う。私を見て、私と過ごして、そうして何か名前のある関係になれるとそれはすごく嬉しいことではないかと、消え入りそうなその瞳を見て未来の彼を思うのだ。


「そんなこと言われたの、初めて」

 出会って9度目の食事で彼は私の力を見てみたいと言った。こうなることは予想できたが、こんなに直球で言われるとは思っていなかった。私に目を付けたクロロ。きっと何かに利用できると思っているに違いない。半ば強引とはいえ身につけたこの力は、戦い向きではないが何かを守るにはぴったりの能力。家族を守りたいがために私が望んだ能力だ。それが凄いのかそうではないのか、自分では自覚はないが最低でも興味は持っているのだろう。
 私と接触したのも、食事をするのも、全てこの力の為なのかと。考えたことは幾度とある。その度に私はそれ以上を考えないようにした。
 クロロは力を使うのはどんな時だ?と問う。それは何かを守る時だよ、と曖昧に微笑み、また今度教えてあげる、と私は目を伏せた。クロロには何もかもお見通しだと思うけれど、こうでもしないと口を滑らせてしまいそうだった。これからの彼との時間が、そう長くないことを。

 クロロはいつも、決まって食事の後はすぐに私を家へと送り届ける。そしていつも、当たり前のように肩を抱いて歩いてくれた。次々と私の好きそうな話をしてくれるし、微かな変化にもすぐ気付く。淡い色から少し濃さを加えたルージュの色、無くしてしまったピンキーリング、少し高くしたパンプスのヒールまで、何もかもお見通しだった。何度か会う内にそんな変化に気づいて欲しくてわざと香水を変えたこともあった。それでもクロロはいつだって同じように、その変わらない表情で言い当てる。彼が凶悪集団と呼ばれるもののの一員なんて、どうだってよかった。





 「オレにその能力を預けてくれないか」

 出会って10度目の食事で彼はそう言った。どうして見てもいない私の能力を見もせずに欲しいと言えるのか。そんな野暮なことは聞けなかった。約束通り私は自分の力をクロロに見せることを決めていたし、その言葉の意味もあまり理解しないまま首を縦に振っていた。
 そして今、クロロは穏やかに、それでいて真剣な眼差しで私の目を見ている。
 クロロは私が平凡な生活を望んでいることを知っていた。そして、この力をそれほど重要視していないことも知っている。

「誰かを傷つける為には使わない、誓って」
「うん」
の力は何かを守る為だけにできたものだ。オレもそれを、何かを守る為だけに使おう」

 元はと言えば、願わずに手に入れた力。そこまで執着するものではないのかもしれない。私には不釣り合いのものだったのかもしれない。だから迷いもなく承諾した。クロロの力になれるのならば、それが“幻影旅団の一員のクロロの”だとしても、自分にとっては願ったり叶ったりだと。これで平凡な人間になれるのだ、と。
 きっと今後、クロロは二度と私の前に現れないだろうと思った。何故だか分からないが、それが自分の勘なのか、数秒後に失われる力のせいなのかは定かではない。けれど、もうこれが最後なのだろうと私の中では答えが出ていた。
 だったら最後に。どうか私を忘れない為の何かを。彼に与えてみたいと思う。最後の悪あがきだ。どういった形で残るのかなんて分からない。顔なんてすぐに忘れてしまうかもしれない。それでも何かを守るということをこの力に頼り、他の何かを守りたいと思った時だけでいい。

「私の能力は―――」

 私とクロロだけのこの時間を、ほんの少しだけでも覚えていてほしいと強く願う。目を閉じると、すうと体から何か温かいものが漏れ出すような気がした。そして同時に、涙が伝うのを感じる。

「ありがとう」

 もう目を開けて、彼を見ることはできない。

「奪った分、何か返そうかと思ったが」

 きっともう、これが最後。

「もう、必要ないかもしれないな」

 トン、と小さすぎる音と重みだけを残して。足音も、気配も、匂いも、温もりも、何も残さずに。彼は姿を眩ませた。
 強張った瞼をゆっくりと上げる。テーブルには淡いピンクの小さな箱が置かれてあって、中には申し訳なさそうにはめ込まれている小ぶりのピンキーリング。それは以前、私が無くしたと言ったものと良く似たデザインの、けれど真っさらに輝くピンクゴールドのものだった。左手の薬指に輝くダイヤモンドが負けじと輝きを放つ。けれど今の私にとっては、このピンキーリングが何よりも何よりも眩しくて仕方がない。闇に紛れた彼はもう真っ暗で見えもしなかった。このリングだけが、彼が今ここにいた証明だった。
 ずっと私を見てくれていたようで、でもそれは外面のことにしか過ぎなかった。最初から最後まで、とうとう私の内面までは見てくれもしなかった。そういうことでしょう。クロロ。夢のような時間を与えながら、欲しいものが手に入った途端パッと消えてしまうあなたと。ささやかな幸せをあなたからもらい、これからは他の誰かと生きていく私は。
 きっと取引。ギブアンドテイクね。



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