ゴーストマリッジに憧れて

「ヒソカって、その」
「ん?なんだい」
 若干口ごもりながらスウェットの袖口を口元に当てる。朝一番に人の家に転がり込み、当たり前のようにシャワーを浴び終えたヒソカは、その筋肉質に伸びた足をすらりとしたスキニーに通しながら返事をした。
「その、結婚とかしていい人なの?」
「は?」
 まるでラフ画のように見事なキョトン顔で、ヒソカは初めてこちらを見た。スキニーをたくし上げたままの体制で動きを止める。私は「とりあえず先にはきなよ」と催促をして、床に投げ出された彼の靴下を拾い上げた。というのも、ついさっきまで全裸でその辺をうろついていたので何か身につけろと注意したのだ。すると腰にバスタオルを巻いただけの姿で現れたため、そうじゃないと綺麗な下着とスキニーを投げつけたところだった。
 何でもない日常。話はついさっきの話題に戻る。
「結婚、していい人だと思うけど」
「いろいろ引っかからない?」
「んー、これ持ってる時点でもう立派に正式な人間じゃないかい?」
 さっと、それこそマジシャンさながらに何処からともなく取り出されたハンターライセンスをちらつかせる。指で弾いて回転するそれを弄びながら「君も持ってるし分かるよね?」と上半身をさらけ出すヒソカは笑みを濃くした。
 ハンターライセンスに結婚うんぬんの決まりはあったかどうか。おそらくなかったとは思うが、それでもそれなりに誠意を見せるには十分すぎるものだと妙に納得できるのが怖い。
「まあ、そうか」
「納得いかないならしてみる?」
「何を?」
「結婚」
 え、嘘でしょ?と心の声がだだ漏れた気がした。シーンと耳鳴りさえしそうな静まり返ったこの部屋で、衣摺れ一つ聞こえない状況はまるで余命宣告を受けた直後かと錯覚する。いや、むしろそれもあながち間違いではないかもしれない。もちろん私の余命宣告だ。
 とりあえずおさらいすると、彼は、ヒソカは、私のひょんな質問にその場のノリにも近い勢いで結婚してみないかと言ったのだ。人間だと証明するために結婚してみないかと。これだけ簡潔にまとめてもヒソカの異常さばかりが浮き上がってくるので、これはまた恐ろしい事この上ない。
「結婚ってさ、女の子の夢なんだろ?」
「世間一般では」
「君は?」
「例外、かも。何の関心もない」
「そう」
 そしてまた、ヒソカの口元が放物線さながらに弧を描く。その綺麗な唇に舌先を這わせ、何とも満足げな表情で無邪気に言うのだ。
「だったら結婚しよう」
 へっ、と生気の無い声が漏れる。薄く開いた口元から空気が抜けるように飛び出た言葉の一文字は、もう部屋のどこかへ消えてしまったようだ。というより、こんなにも味気ないプロポーズがあるだろうか。
 再度目線を合わせたヒソカは笑顔である。有無を問わせないその圧力にも似た笑みは、今まで見た彼の笑顔の中でも比べ物にならないほど上物だったように見える。
「何の関心もないんだよね」
「でもだってほら心の準備とか」
「してもしなくてもいいやって感じだろ」
「う……」
 間髪入れずに言葉を返すヒソカは意地悪である。いじけたように横目で睨みつけるのが精一杯の反発だ。
「だったらしよう」
「……」
「結婚」
「……いい、けど」
 結局上半身は何も身に着けないまま、ヒソカは私の隣に腰を下ろした。ぐわんとソファが揺れる。認めてしまえば抵抗する力も沸かず、膝を抱えて丸くなった私はどうやらプロポーズを受け入れたようだ。結婚願望なんてなかったはずなのに。結婚するらしい。しかもヒソカと。両親は何と言うだろう。ついに娘もと手放しで喜ぶだろうが、こんな変り種を生涯を共にする伴侶と認めるのは想像し難い。そもそもヒソカがスーツを着用の上菓子折りを持参し、私の家に出向くことすらありえない。報告するのはやめよう。
 頭の中を読んだのか、ヒソカは「新婚夫婦ごっこみたいな感じでいいよ」と私の唇に人差し指を乗せた。「別に配偶者になったからって、僕の妻っていう肩書きができるだけだろ?」なんて他人事のような口ぶりだ。あまりにも呑気で、少しでも真面目に考えた自分が馬鹿みたいだと思う。
「料理は?」
 ヒソカが問う。新婚生活が楽しみな旦那のような顔をして、いけしゃあしゃあとよく言う。
「作るよ、家来る日さえ言ってくれれば」
「そう。じゃあセッ――」
「するよ、ごく一般的のね」
 夫婦になるということは、つまりはそういうことだ。正直ヒソカとそういうことをした経験は何度かあるが、主に暇潰しのような、欲満たしの適当なものだった。なので改めてそういう問われ方をされると、前と後では内容に変化があるのかと身構えてしまう。ヒソカのことだ。人並み外れた考えを持っていてもおかしくはない。未来の夫とはいえ、死ぬまで侮れない。
「やってもいいけどほんと念使うとか常人離れの営みはまじ勘弁。1回世間の新婚夫婦の夜を覗いてきて?それでそれ以上は超えないものならよしとする」
「……じゃあ」
「個人の性癖は認める!が、過剰なまでのそれは認めない!」
「わかったよ」
 まさか自分が夜の営みについてこんなに声を荒げて力説する日がくるだなんて。それが求めていた私の反応だったようで、ヒソカは満足げにクツクツと笑っている。いつか今日の判断を悔やむ日がくるのだろうな、と年を重ねた自分を思いながら、すでに後悔し始めている事実に気付かぬフリをした。
 とりあえず手続きは協会に任せればなんとかなるだろう。私もヒソカもいい大人だ。誰の許可も必要はない。夫婦という肩書きを得たくらいで、これからの生活にほとんど変わりはないだろう。同居するつもりもないし、世間に発表するわけでもない。ありえないことだとは思うが、「おめでとう」と言われることがあれば「ありがとう」と返す。それだけだ。
「あとは、そうだな」
「なに?」
「名前、変わったくらいじゃない?」
「名前?」
 知らぬ間に靴下を履き、首元の広い薄手のニットを着たヒソカが前髪を掻き上げる。
「そう、名前。=モロウ」
「ぶはっ」
「笑うなよ」
 ルックスだけは私好みなのになあと、これから婚姻届を提出する婚約者に溜め息を吐いた。

by 星葬

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